日本アーツ株式会社 NIPPON ARTS INC.

おかげさまで、当社は2025年5月1日に創業70周年を迎えました。NIPPON ARTS INC. 70th ANNIVDERSARY

70年間、支えていただいたお客様とパートナーの皆様への
感謝を糧に、私たちは次の時代へ向かいます。
何も持たないところから、印刷事業にチャレンジした
70年前の創業の精神を受け継ぎ、
日本アーツは今一度、マーケティングの総合商社として、
新しい時代のビジネススタイルを創業いたします。
これからも全社をあげ、
満足を超えた「感動」をお届けして参ります。

創業の原点をたずねて Ⅰ

創業者 谷義一の生い立ち
商人への道へ

昭和7年4月12日。大阪府北河内郡田原村にひろがる農村の旧家に、
谷義一は、その生を受けた。
三男として生まれた彼は、家を継ぐというしがらみもなく、
自由な環境で育つ。
学業にも熱心で、大阪府立布施高校に進学。
安定した農家の地味さに満足しなかった彼はベンチャースピリッツを育み、
卒業後、商人としての道を選び、船場での商いの修行を始めたのである。

創業の原点をたずねて Ⅱ

商人への夢が
力になる。

大阪に出て、最初に経験したのは、船場の繊維問屋での丁稚奉公である。
朝は一番早くに起き、夜は最後に床に就く。
湯船の湯もままならない辛い日々を送ったが、商人になりたい執念と、
商いの勉強をさせてもらえる喜びが彼を支えていた。
しかし、奉公先が倒産したことで、商売の厳しさを痛感することになる。
取り立てる納入業者、額を床にこすりつけんばかりに謝罪する主人の姿、
立場が変わることで人間が豹変するところを目の当たりにして、
商売の恐ろしさを学んだ。
その後、一旦家に戻り家業を手伝ったが、再び新聞の求人広告を頼りに働き出す。
条件の良さそうなものがあれば、すぐ飛びつき応募した結果、
17回もの転職を経験することになった。

創業の原点をたずねて Ⅲ

印刷業に目覚め、
歩み始めた青年期

谷は、老舗の印刷会社、東洋精版印刷で夜勤のアルバイトを始めた。
主な仕事は平版印刷機の合紙を手差しする単純作業である。
好奇心旺盛な谷は、営業の手伝いもするようになった。
上司の指示で印刷物を納入しに行くとクレームを受けることも多く、
そんなとき、お客様の立場になって営業がしっかりしていれば、
とはがゆい思いをすることがあった。
「営業」の名刺を勝手に使い大目玉を食らったこともあったが、
そのうち、ある程度の力量は認められ、営業回りや下請けへの使い走りも経験した。
そして当社の旧社名の元となる島本印刷と出会い、転機を迎えるのである。

創業の原点をたずねて Ⅳ

 
島本印刷所との出会い

島本印刷所は、職人の親父さんと奥さんが営む家内工業であったが、
多くの印刷会社やブローカーが出入りをし、高い評価を得ていた。
そんな中、谷は、島本印刷の奥さんから、ある印刷ブローカーの仕事を
手伝わないかと、ヘッドハンティングされたのである。
条件が良く、魅力的な話だったため、転職を決意。
しかし、目前に連絡が入り、ブローカーの得意先が倒産したため、
雇用の話はなくなったという。まさに青天の霹靂だった。

HISTORY 日本アーツ70年の軌跡

1950

1953年(昭和28年)、
早川電機工業(株)第1号白黒テレビ発表

1955年(昭和30年)

  • 大阪市浪速区にて印刷商社として
    「谷商起印刷」を創業
  • 早川電機工業(株)〈現・シャープ(株)〉取引開始

1956年(昭和31年)

  • 「島本印刷」に社名変更

創業の原点をたずねて Ⅴ

商いを起こす
「谷商起印刷」創業

島本印刷の奥さんは谷を親身に心配し、島本印刷で働けるよう口利きも
してくれた。しかし、親父さんが、頑として首を縦に振らない。
困った谷に、独立を勧めたのも奥さんである。
「あんたなら、印刷ブローカーとして十分にやっていけるよ」と励まし、
印刷用紙の代金を、当分の間肩代わりすることを約束してくれた。
さらに、予定していたアパートをそのまま使えることになり、独立を決意。
大阪市浪速区日本橋の狭い角部屋で、新たな人生の幕開けを迎えた。
屋号は、商いを起こす、ところから「谷商起印刷」。
昭和30年、弱冠22歳、現在の日本アーツ株式会社の創業である。

創業の原点をたずねて Ⅵ

飛び込み営業から
キャリアを向上させる

創業当初、全くの徒手空拳で苦しい日々が続いた。
その中で身についた営業スタイルが、飛び込みである。
小さな商店や喫茶店、飲食店を片っ端から訪問し、
名刺やメニュー、箸袋などの御用聞きを行った。
飛び込みにも作法がある。
忙しい時間帯を避け、一息ついて、手持ち無沙汰の店主がいるところを狙うのだ。
忙しそうにしていたら長居は無用。
顔を覚えてもらうだけで帰り、忘れられない頃に再度訪問、ということを繰り返した。
技術も資金もない谷が、事業を続けるためには、
飛び込みが中心になったのは、当然の帰結であったのだろう。
移動手段も、最初は徒歩、中古の自転車、そして新品自転車へと変遷していった。

創業の原点をたずねて Ⅶ

執念で射止めた
早川電機工業との引き合い

商売がある程度軌道に乗りだした頃、
谷は「早川電機工業」に強い関心を寄せていた。
いつかはこんな一流企業と取引したいと考えていたが、勇気が湧かず数ヶ月が過ぎていた。
ある日、意を決して飛び込むも、けんもほろろに断られた。
しかし、ここで意気消沈しないのが、若き日の谷である。
営業は断られることが始まりだと信じ、
「これから毎日朝と夕、何があっても訪間してやろう」と決意し、実行したのである。
一年後、挨拶して失礼しようとすると、呼び止められ購買部に通された。
そして、「お宅は名刺はできるかね?」と、初めての引き合いであった。
この話は、「念ずれば通ずる」、
執念を持って真剣に取り組み、結果を信じて努力を続けていれば必ず報われるという「創業の精神」として、今もなお語り継がれている。

創業の原点をたずねて Ⅷ

敢えて試練を課し、
成長を追求する

「当社は名刺が専門です!」と二つ返事で引き合いに応じた谷。
しかし、ブローカーである谷商起印刷に、専門などあるはずがない。
「いくらでできる?」購買課長の興味はそこである。
当時、名刺の相場は一箱100円、そして、仕入れ値95円のところ、
谷は、売値93円という、破格の値引きを断行し、受注した。
最初は赤字覚悟で、新たなチャンスが訪れると信じていた。
会社には人事異動があり、そのとき必要になるのが新しい名刺である。
次々と舞い込む仕事に困窮するなか、
谷は「直接部署に、お届けしてよろしいですか?」と提案。
これが快諾され、営業部や広報室などへ、名刺を直接納入することになった。
まさに水を得た魚、ここから営業活動の幅を広げ、今日の基礎を築くことになる。
安易な道を選ばず、敢えて試練を課し、克服することで成長していく。
それが谷のスタイルである。

創業の原点をたずねて Ⅸ

知恵と工夫で条件を突破
「島本印刷所」へ躍進

早川電機工業との取引は順調に拡大し、正式に口座を開設する話をもらった。単なる名刺屋さんではなく、印刷業者として認めてもらえる、ということだ。ただし、3つの条件があった。
1つ目は経歴書の提出。これは、詳しい人に教わりながら作成した。
2つ目は工場を見せること。これも、島本印刷の工場を借りればだいじょうぶだろう。
しかし3つ目の、納税証明書の提出が難関だった。
谷は島本印刷に頼み込んで納税証明書を譲ってもらい、
「兄が経営する会社と合併する」と説明。
工場も島本印刷に案内し、なんとか条件をクリアすることができた。
晴れて、早川電機工業との信用取引が開始。
創業初期の社名は「島本印刷所」、
昭和37年の法人設立時は「島本印刷株式会社」となり、
20年後に「日本アーツ印刷株式会社」に変わるまで使われ続けた。
シャープの宣伝カタログの裏面、印刷会社を見分ける当社の記号が「I」であるのは、島本の「島=アイランド」に由来する。

1957年(昭和32年)、五千円券発行

1958年(昭和33年)

  • サンウエーブ工業(株) 〈現・(株)LIXIL〉取引開始

早川電機工業、社内報「窓」創刊号

シャープ株式会社社内報「窓」を昭和33年の創刊号から受注。2012年まで通刊552号を数えています。

早川電機工業、社内報「窓」創刊号

1958年(昭和33年)、一万円券発行

1959年(昭和34年)

  • 大和ハウス工業(株)取引開始

1960

1960年(昭和35年)、カラーテレビ本放送開始

1961年(昭和36年)

  • 大阪市天王寺区大道へ移転

故徳川夢声氏から直筆の社是を贈られる

故徳川夢声氏から直筆の社是を贈られる

1962年(昭和37年)

法人設立「島本印刷(株)」

1962年(昭和37年)

  • 活版設備導入
    ハイデル活版機(プラテン印刷機)設置

活版設備導入

創業の原点をたずねて Ⅹ

会社を起こす決意
その思いを社是に

創業当初から谷は、お得意先の一つであった、南光商会の森田会長に可愛がられ、
商売の基本や人脈を築くことを学んだ。
昭和37年に会社設立を決意したさい、真っ先に相談したのも、
大恩人の森田会長である。
森田会長は、マルチタレントとして活躍していた義理の兄、
徳川夢声氏を紹介してくれた。 徳川氏は「何を目指して会社を作るのか?大きな富を築くためか? それとも他の人と一緒に仕事をすることで、皆と幸福を分け合い、社会に恩返しすることか?」と問い、谷は後者だと即答した。
このとき、徳川夢声氏から贈られた書がある。
それには、会社の隆盛と個人の健康を両立させるために、皆で力を合わせて、明るく、いがみあったりせずに頑張っていこうという、会社設立の理念が詰まっている。
今も掲げられている、日本アーツの社是である。

1964年(昭和39年)
東京オリンピック開催、東海道新幹線開通

活版機(シリンダー)設置

活版機(シリンダー)設置

ハイデルベルグ製ロタスピード設置

ハイデルベルグ製ロタスピード設置

創業の原点をたずねて Ⅺ

日本アーツの創業精神には、昭和39年10月の逸話が深く根付いている。
当時、谷が自宅兼事務所を構えていた頃、ある初老の紳士が訪れた。
「書」を生業とし、一筆進ぜようという。
話を聞くと、かつて事業を起こし成功を収めたが、本業以外の過剰投資がたたり、全てを失うことになったという。
授かった書には、
「程」 人間万事  此一字 としたためられている。
常に自分の身の程をわきまえ、身の丈に合った経営をするように、との意味である。

高度成長期やバブル期の常に右肩上がりのうわついた時期を経験しても、
日本アーツは創業当初よりぶれることなく堅実路線を貫いている。
これは、農家で生まれ育った谷の性質や丁稚時代の奉公先の倒産、徳川夢声氏の言葉、そしてこの紳士の「書」が精神的支柱となり、受け継がれてきた結果である。

1965年(昭和40年)、名神高速道路開通

オフセット印刷設備導入

昭和40年頃には得意先が200社近くに拡大。同時にカラー印刷への受注も拡大。それに応えるべく、東住吉区にオフセットの印刷工場を備えた本社社屋を建設しました。

オフセット印刷設備導入

1967年(昭和42年)

  • オフセット印刷設備増設

1969年(昭和44年)、東名高速道路開通

1969年(昭和44年)

  • 東京営業所開設(千代田区神田須田町)

1970

1970年(昭和45年)、万国博覧会開催

1970年(昭和45年)

  • 企画制作子会社(株)ないんてい・ないんを設立
    (大阪市中央区)

企画制作の専門子会社「株式会社ないんてい・ないん」を中央区(御堂筋沿い)に設立。その後ビデオ制作部門も追加し、映像制作にもいち早く取組みました。

1970年(昭和45年)

  • 東住吉区に新工場完成

本社社屋を天王寺区大道から東住吉区へ移転。印刷工場を備えた本社社屋を建設(現印刷事業部)

東住吉区に新工場完成

1971年(昭和46年)、沖縄返還協定調印

1971年(昭和46年)

  • 東京支店移転(台東区上野)

1973年(昭和48年)、オイルショック

1973年(昭和48年)

  • (株)ないんてい・ないんを天王寺区大道に移転

1975年(昭和50年)
山陽新幹線岡山ー博多開業、沖縄海洋博覧会開催

1975年(昭和50年)

創業20周年を期して社名変更
「日本アーツ印刷(株)」へ

日本アーツ印刷株式会社

1978年(昭和53年)、新東京国際空港開港

1975年(昭和50年)

  • ローランド4色機導入

ローランド4色機を導入し、本格的なフルカラーオフセットの量産体制を整えました。

ローランド4色機導入

1979年(昭和54年)

  • ビデオないんてい・ないん設立

ビデオないんてい・ないん設立

1980

1980年(昭和55年)

  • 東京支店を移転(東京都港区南青山)

1981年(昭和56年)、
神戸ポートアイランド博覧会開催

1981年(昭和56年)

  • シャープ(株)社内報「窓」創刊200号発刊の感謝状を受ける

シャープ(株)社内報「窓」創刊200号発刊の感謝状を受ける

1982年(昭和57年)、500円硬貨発行

1983年(昭和58年)、東京ディズニーランド開園

1983年(昭和58年)

(株)ないんてい・ないんを統合し、
「日本アーツ(株)」へ社名変更

日本アーツ株式会社

昭和58年、現本社所在地に新社屋を竣工。営業・企画・クリエイティブの拠点として現在に至ります。

1984年(昭和59年)

  • 経営信条「お客様第一主義」及び
    実践10ヵ条策定

経営信条「お客様第一主義」及び実践10ヵ条策定

1985年(昭和60年)、「科学万博つくば85」開催

1985年(昭和60年)

  • 第二電電(株)〈現・KDDI(株)〉取引開始

1987年(昭和62年)、国鉄民営化、JRスタート

1989年(昭和64年)、消費税導入

1989年(昭和64年)

  • ハイデル5色機導入

ハイデル5色機導入

1990

1990年(平成2年)

  • NA(New Arts)-21(世紀)をスタート

1993年(平成5年)、Jリーグ開幕

1993年(平成5年)

  • 映像制作拠点スタジオアーツビル完成
    (天王寺区大道)

    映像制作拠点スタジオアーツビル完成

  • 東京支店を移転(渋谷区神宮前)
  • 映像システム事業部にWeb事業部門設置

1995年(平成7年)、阪神大震災

1995年(平成7年)

  • パソコン通信によるオンラインショッピング
    「MYDO」開始
  • 香港支店開設

1997年(平成9年)、消費税5%に引き上げ

1997年(平成9年)

  • シークス(株)取引開始
  • 浄土宗総本山知恩院取引開始

1998年(平成10年)

  • インターネットモール「特選商店街」開設

インターネットモール「特選商店街」開設

1999年(平成11年)

  • シャープ(株)社内報「窓」創刊400号発刊の感謝状を受ける

シャープ(株)社内報「窓」創刊400号発刊の感謝状を受ける

2000

2000年(平成12年)、二千円札発行

2000年(平成12年)

  • 創業45周年を迎え50周年に向けた、ATTACK-50を策定

    印刷から始まった事業は、お客様のニーズにあわせ、立体制作物やディスプレイ制作、またデジタル映像ソフトやネットワークビジネスなど様々な分野に拡がっています。

2002年(平成14年)、
サッカーワールドカップ日韓共催

2001年(平成13年)

  • 国際環境規格ISO14001認証取得

    国際環境規格ISO14001認証取得

  • ハイデル両面2色機導入

2003年(平成15年)

  • ハイデル菊全4色機導入
  • 大阪府知事表彰を受ける

大阪府知事表彰

2004年(平成16年)、
新潟県中越地震、新紙幣3種類発行

2004年(平成16年)

  • 新潟県中越地震に際し、義援金100万円を贈る
  • 創業50周年へ向け「STARTS '01」を策定

2005年(平成17年)、「愛・地球博」開催

2005年(平成17年)

  • 創業50周年、お取引先様謝恩会・社員感謝の集いを開催

創業50周年、お取引先様謝恩会・社員感謝の集い

2006年(平成17年)、
第1回WBCで王ジャパンが世界一に

2006年(平成17年)

  • 資本金7,000万円に増資
  • FSC森林認証制度CoC認証取得

FSC森林認証制度CoC認証取得

2007年(平成18年)

  • シャープ(株)片山社長より社内報「窓」500号記念
    感謝状授与

    シャープ(株)片山社長より社内報「窓」500号記念感謝状授与

  • 谷正央専務取締役が、代表取締役社長に就任

2008年(平成19年)、リーマンショック

2008年(平成19年)

  • 谷義一 会長が、大阪府知事より産業功労者表彰を受ける
  • 日本アーツ株式会社OB会「社友会」発足

日本アーツ株式会社OB会「社友会」発足

2009年(平成20年)

  • 国際品質規格ISO9001認証取得

国際品質規格ISO9001認証取得

2010

2011年(平成23年)、
東日本大震災発生、九州新幹線全線開業

2011年(平成23年)

  • 東日本大震災に際し、義援金300万円を贈る
  • 法人設立50周年
  • 東急不動産グループ 取引開始

2012年(平成24年)

  • 事業計画地(本社隣地)を大阪市より取得
  • 天王寺税務署より優良法人の表敬を受ける
    (継続8回目)

天王寺税務署より優良法人の表敬を受ける

2015年(平成27年)、
北陸新幹線(長野-金沢間)が開業

2015年(平成27年)

  • 創業60周年

    創業60周年

  • 谷義一 代表取締役会長が、取締役 相談役に就任

2016年(平成28年)、熊本地震発生

2016年(平成28年)

  • 谷義一取締役相談役が大阪国税局長より
    納税表彰を授与される

    谷義一取締役相談役が大阪国税局長より納税表彰を授与される


    多年に亘り、常に率先して申告納税制度の普及発展に努めたとして、谷相談役が大阪国税局長表彰を受けられました。近畿2府4県で今年は47名のみが表彰されました。この表彰は税務署長が表彰する納税表彰の上位表彰にあたります。

2017年(昭和29年)

  • JPPS(日本印刷個人情報保護体制認定制度)の
    認証取得への取組みに着手

2018年(昭和30年)

  • 大阪産業創造館主催の「印刷ソリューションフェア2018」への出展

2019年(令和元年)、
国内初のラグビーワールドカップ開催

2019年(平成31年・令和元年)

  • 中期経営ビジョンATS Vプラン 2025の策定
  • 3次元加飾印刷「HK工法」ガリバー機の導入

3次元加飾印刷「HK工法」ガリバー機の導入

2020

2020年(令和2年)、
新型コロナウイルス世界的大流行

2020年(令和2年)

  • 3次元加飾印刷テスト機販売

2021年(令和3年)、
東京オリンピック・パラリンピックが2020年より
1年延期されて開催

2021年(令和3年)

  • 東京支店(渋谷区神宮前)のフロアを拡充
  • 法人設立60周年

2022年(令和4年)

  • ECサイト アルトイーを開設
    SDGsコミュニティサイト通販サイトを展開

ECサイト アルトイーを開設 SDGsコミュニティサイト通販サイトを展開

2023年(令和5年)、栗山ジャパンWBC劇的優勝

2023年(令和5年)

  • SDGsユースアクションエキスポに出展

2024年(令和6年)

  • SDGsコミュニティサイト「アルトイー」をMBSラジオ「上泉雄一のええなぁ!」でシリーズ放送
    (2024年〜2025年)

SDGsコミュニティサイト「アルトイー」をMBSラジオ「上泉雄一のええなぁ!」でシリーズ放送

2024年(令和6年)

  • 大阪産業創造館で開催された、販促物活用フェスタ2024に出展

大阪産業創造館で開催された、販促物活用フェスタ2024に出展

2024年(令和6年)、
20年ぶりに偽造防止技術を高めた新紙幣発行

2024年(令和6年)

  • 事業年度を4月1日~3月31日に変更することを決定(2025年より実施)

2024年(令和6年)

  • 3次元加飾印刷コンパクト機「3D deco Printer」完成

    3次元加飾印刷コンパクト機「3D deco Printer」完成

  • PE(プリンテッド エレクトロニクス)分野への展開
    テストを本格化

2025

2025年(令和7年)

  • 「アルトイー」参画パートナーが200社を超える
    (2025年1月現在)

2025年(令和7年)

  • 4月1日より第64期を「マーケティング総合商社」としてスタート

2025年(令和7年)、大阪・関西万博 開催

2025年(令和7年)5月1日

  • 創業70周年を迎える

創業70周年

Connecting to the Future

70年の歩みを礎に、私たちは
新たな未来へ挑戦し続けます。
これからも成長を続ける私たちの旅は、
次の世代へとつながっていきます。

日本アーツのビジョン